原 耕造
2010年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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媒体(Vol.) |
備考 |
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2010年03月26日 |
原 耕造 |
エネルギー・環境 |
地球環境 |
情報誌CEL (Vol.92) |
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10年前から産直交流事業の一環として田んぼの生きもの調査活動を始め、生物多様性農業の表現として「人と生きものに優しい農業」という言葉を使った。この言葉に対して各グループから多様な反応があった。自然環境系の人は「環境に優しい」という概念と同じで使い古された言葉で新鮮さが無い。営農指導系の人は「環境保全型農業」とは異なる概念でいいと思うがイメージが湧かない。産直事業系の人は「食の安全性」との関係がよく分からない。このように生物多様性農業という概念を確立できないまま、生きもの調査の輪だけが広まっていった。 従来の水田評価は、その稲作収量の生産性や機械化導入の利便性、用排水の利便性等で語られてきた。それは無理のないことで、従来は湿地であったところを中心に水田開発が行われ、その湿田をどのように克服するかが稲作にとって最大の課題であったからだ。稲作の労働生産性は機械化一貫体系によって頂点に達し、更に構造改善事業によって湿地の克服がなされてきた。その間、水田の生きものたちは見向きもされず、その結果、渡り鳥は居場所を奪われ、コウノトリやトキは絶滅に追いやられてしまった。人類にとって飢えからの解放は有史以来の課題であり、日本の近代農業はその課題を克服したかのようであった。しかし、克服の代償は田んぼの生きものたちであり、日本人は飢えから解放されたが、田んぼの生きものたちは更に水田転作という水田から水がなくなることへの過酷な対応を迫られている。私たちの食卓が、このような歴史の積み重ねのうえに成り立っていることは誰も認識していない。