石田 仁志
2010年07月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2010年07月01日 |
石田 仁志 |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.93) |
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家族のつながりというものは、家族が何か問題を抱え込まなければならなくなったとき、初めて意識されるものだろう。そして家族の力というものも、危機と背中合わせにしか発揮されない。厄介きわまりないが、そんなことを私に教えてくれたのがこの小説である。
この小説は、日本が高度経済成長を成し遂げ、ひとつの曲がり角を迎えようとしていた時代に、ある核家族が老親を介護し看取っていく物語である。アルツハイマーや認知症といった言葉が知られていなかった時代、痴呆を発症した高齢者とどのように接すればよいのか、日本人には分からなかった。「恍惚の人」とはそんな老人を指した表現として、ペーソスとユーモアを感じさせる絶妙のネーミングで当時の流行語ともなった。
小説の冒頭で、老母の急死をきっかけに老父茂造の痴呆症状に家族は気づかされる。降って湧いた介護の問題であるが、そこから茂造の痴呆症状は悪化の一途をたどる。公的な介護サービスが今のようにはなく、息子の信利はサラリーマンであるために介護はできず、結局妻の昭子が仕事をやめて舅の面倒を自宅でみることになる。昭子は徘徊する茂造を探し回り、深夜の排泄を介助し、食事を用意する。その奮闘振りは在宅での老人介護が核家族にとって如何に重い負担であるかを訴え、まるで読者に対して自分の家族の力を問いただそうとしているかのようにも感じる。まさに介護老人を抱えることの不安と現実がここにある。
しかし、物語の後半、人間的な感情を失っていると思っていた茂造が雨に濡れる泰山木の白い花に見とれている姿を目にして、昭子は彼の中に美を感じ取る感性が失われてはいないことを知る。そして、次第に赤ん坊のようになっていく彼の笑顔の中に人としての生命力を見たことで、彼を〈生かし切る〉ことこそが家族としての自分たちの責任だと気づかされる。家族の中で老いていくことは、壊れていくことでも失われていくことでもなく、生命の源へ回帰していくことである。そして介護を通じて、老いと死を受け止め、家族は強くなっていく。ラストで孫の敏が「もうちょっと生かしといてもよかったね」と呟く言葉にドキッとさせられるが、そこにこそ家族としての飾らない愛情があるように私には思える。40代の夫婦に是非とも読んでもらいたい私の一冊である。また、映画「恍惚の人」に出演した森繁久彌さんの迫真の演技もあわせてご覧になることをお勧めしたい。