伊藤 明香
2011年01月11日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2011年01月11日 |
伊藤 明香 |
エネルギー・環境 |
地域環境 |
情報誌CEL (Vol.95) |
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平成21(2009)年12月、農林水産省は「コンクリート社会から木の社会」への転換を目指し「森林・林業再生プラン」をまとめた。林業・木材産業の目指すべき姿として、10年後の2020年までに「木材自給率50%以上」と定めている。
我が国では、戦後に植林された人工林資源が活用されないまま森林荒廃が叫ばれて久しい。国土の67%を森林が占めているにも関わらず、木材自給率は24%と低く、輸入に頼ってきた。今、海外からの木材輸入をめぐる情勢は今後の先行きが不透明となってきており、林業・林産業の再復興が求められている。一方、地球温暖化防止への貢献等の観点からは、二酸化炭素の固定効果があり燃焼してもカーボンニュートラルである木質バイオマス利用への期待が高まっている。
そこで、ここに木質バイオマスを取り巻く現状と将来に向けた展望についてお伝えしたい。
−そもそも木質バイオマスとは−
「バイオマス」とは、もともと生物(bio)の量(mass)のことだが、今日では再生可能な、生物由来の資源を指している。その中でも、木材由来のものを木質バイオマスと呼ぶ。
−新しいようで実は懐かしい−
ところで、今でこそ木質バイオマスが話題に取り上げられるようになってきたが、実は既に木質バイオマスを燃料とした発電が行われ、さらには自動車が走っていた時代があった。
木質バイオマスによる発電の全盛期は大正から昭和初期、木炭や薪、のこ屑を燃料とした発電所が、北海道から沖縄まで国内に70カ所もあった。木材を炉で加熱して可燃性ガスを取り出し、このガスでエンジンを動かして発電するガス化発電という方式で、比較的小規模な出力に適しているため、特に島嶼部や人口密度の少ない地域で発電が行われていた。
戦後生まれの方には想像できないかもしれないが、この木ガスでエンジンを回す木炭(または薪)自動車が走っていた時代もあった。海外では第一次世界大戦頃、自動車に木ガス発生炉を搭載したものが製作されたようである。その後、日本では、大正13(1924)年に旧陸軍自動車学校がフランスから木炭自動車を輸入してそれを改良研究し、昭和9(1934)年に薪炭ガス発生炉を完成させた。戦中・戦後はガソリンが不足しており、木炭自動車はガソリンの「代燃車」として活躍した。当時、メーカーは21社以上あり、性能規格も制定され、バスで34〜45km/h、乗用車で50〜70km/hの時速が出せるように定められていた。しかし、登坂時には馬力が足りずにエンストし、乗客が押して坂を登ったというようなエピソードも残されている。
今のように豊かではなかった時代、身近に入手することができた資源である木材を、少々使い勝手は悪くても工夫しながら活用してきたのである。