稲本 正
2011年01月11日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2011年01月11日 |
稲本 正 |
エネルギー・環境 |
地域環境 |
情報誌CEL (Vol.95) |
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木や森について書かれた本はたくさんあるが、あえて一冊を、と言えば、やはり『森の生活』(ヘンリー・D・ソロー著)を挙げざるを得ない。私が東京での原子物理の研究を辞め、飛騨高山に移り住む決意を促した本の一冊が『森の生活』である。
原題は『ウォールデン』で、ソローがアメリカのマサチューセッツ州のコンコードという町のはずれにあるウォールデン湖の側に、自作の小屋を建て、森の中で過ごした2年2カ月をドキュメンタリー風に綴ったものだ。ただ単にどういう生活をしたいかだけではでなく、自然との対峙の仕方、文明のあり方、人生の価値などの思索が格調高い文章で迫ってくる。
ところが、私が『ソローと漱石の森』で書いたように、正直、極めて読みづらい本だ。日本の江戸時代に書かれた本で、原文の文体そのものが難解で「現代アメリカ人向けに翻訳が必要だ」と言われるくらいだ。
さらに、日本語には訳しづらい比喩や洒落があり、それでいて深遠な思想なのでそれらがあいまって、その内容が伝わりづらいからだ。が、そんなことは気にせず、なにしろ「自分も森に住んだらどう考えるか」と、ソローの立場になって読んでほしい。すると、現代人がハッとする指摘をしているのがわかる。
単に森の生活の中で感じる情緒的で文学的な表現だけでなく、例えば「50ぐらいの年輪がある薪を燃やしてみると、その中心部が炎となったとき、50年前に固定されたCO2の炭素が今また出てきたことになる」などという科学的見地にも出会う。なにしろ、詩的文学者であり、森林科学者なのだ。
最後に、近代文明の限界と新たな文化・文明の到来を期待したこの本の末尾の文章が良い。
「・・・ぼくらの目を眩ませる光は、ぼくらにとって闇だ。ぼくらが目覚めるときにこそ、夜明けは訪れる。まだまだたくさんの日が眠ったままで、夜明けを待っている。太陽は暁の明星にすぎないのだ。」(葉月陽子訳)