高島 幸次
2012年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2012年03月26日 |
高島 幸次 |
都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.100) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
はじめに−期待感と危機感と期待感
本誌の特集「"まつり"が育む地域の力」が企画された背景には、二つの気分が横たわっているに違いない。一つは、現代社会において地域コミュニティが崩壊しつつあるという危機感、いま一つは、祭礼によって、その危機を克服できるという期待感である。
この「危機感」については、語り尽くされた感もあるが、近年の大学改革の方向性にも注目すべきだろう。十数年前から、各地の大学において「○○コミュニケーション」といった学部・学科・コース名などが急増しているのだ(○○に「情報」「異文化」「国際」などが入る)。学生のコミュニケーション能力の欠如への対策であり、そこには、近年におけるコミュニティの崩壊が深くコミットしていることはいうまでもない。
大阪大学でも、コミュニケーションデザインセンターに平田オリザ氏を招き、「演劇ワークショップ」によって学生を触発している。平田氏は、劇作家・演出家としての立場から、「コミュニティの形成を助ける力は、やはり演劇の持つ根源的な力だ」と説かれる。私は平田氏に同意したうえで、もう一つ、「祭礼」にも同様の力があると考えたい。実は、平田氏も演劇と祭礼に通底する力については気付かれており、「なぜ未開の集落で、演劇的なもの、伝統芸能みたいなものや祭りなどが持続されてきたか」と問う(『コミュニケーション力を引き出す−演劇ワークショップのすすめ』PHP新書2009)。
そこで、以下では天神祭を素材として、祭礼のコミュニティ形成力について紹介するとともに、その限界を浮かび上がらせるために「大学祭」との比較も行いたい。
-天神祭の風土-
天神祭は、大阪天満宮(大阪市北区天神橋二丁目)の夏大祭である。同宮は平安中期の949年に創祀され、その翌々年に天神祭が始まった。現在のような大規模な都市祭礼に発展するのは、江戸中期のことである。とくに1724年に大坂市中の大半を焼き尽くした「妙知焼け」以降、祭礼を支える組織としての「講」が結成されたことが大きい。現在も約30の講が「講社連合会」を組織して天神祭を運営している。陸渡御や船渡御も原則として講が単位である。
講は、その結成の動機によって、同業者による講と、地縁(地域)による講の二種に別けられる。前者には、酒造・酒販業の「御神酒講」や、出版業の「大阪書林御文庫」などがあり、後者には西天満地域の「西天満連合神鉾講」や、菅南連合八町会の「鳳講」などがある。しかし、もともと天満市場の同業者講だった「太鼓中」が、現在では職業・業種を問わなくなっているように、また、地縁講として結成された「天神講獅子」が、現在では地域性を薄めているように、この二分類は実態にそぐわなくなりつつある。