大島 幸夫
2012年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2012年03月26日 |
大島 幸夫 |
都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.100) |
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思えば、面妖な風景であった。
ほかでもない。つい先ごろまで、大手を振って行われていた有名陸連マラソン大会の話である。
もとより、当の大会は公費の税金を使うことで、目抜き通りを交通規制し、大勢の警官を配備した。あれこれと地元自治体の協力も得た。そのうえで独占したコースを、ほんの一握りの「エリートランナー」と称される強健スピード選手だけが走った。
どんなにランニングが好きであっても、陸連が設定する高度な記録を持たない限り、出場は許されず、沿道なりテレビなりで指をくわえて大会を見ているほかはなかった。
主に実業団や大学なりの陸上競技部に属するエリート高速ランナーに対して、市井のランニング愛好家は、陸連関係筋から「素人ランナー」と格下の呼ばれ方をした。
不惑を過ぎてマラソンを始めたぼくも、そんな素人ランナーの1人に違いなかったのだが、エリートマラソンに準ずる制限タイムが厳しい大会に参加した時は「年寄りランナー」とか「冷やかしランナー」とまで言われて走ったものだ。
個人的な記録に触れれば、50歳を目前にして防府マラソンと筑波マラソンを2時間台ぎりぎりで走った。フルマラソンを3時間以内で完走した者は「サブスリーランナー」と呼ばれて、市民ランナー仲間でちょっとは胸を張れる存在ではあるのだが、有名陸連マラソン大会ともなれば、レベルが違った。
ぼくがサブスリーをクリアして走った時、比較的に門戸が広く、新人の登竜門と言われた別府大分毎日マラソンでさえも、出場資格は持ちタイムが2時間50分以内。「もう、ひと踏ん張りしてなんとか出場を」と願うサブスリー市民ランナーを排除するためなのか、年々の資格は2時間45分以内へ、さらに2時間40分以内へと壁が厳しくなり、とてもぼくのような「年寄りランナー(といってもまだ50歳になったばかり)」の手、いや、脚が届くところではなくなった。
でも、世界は違った。
閉ざされた日本の陸連大会とは、まるで別次元の、開かれた大会ばかりであった。日本の常識は世界の非常識であり、世界の常識は日本の非常識。これが日本国内では得られない大会参加の醍醐味を求めて、世界の大都市マラソン大会を、それこそ夢中に、小躍りするような感動とともに走り巡ったぼくの、体験的な実感であった
彼我のマラソン文化のあまりの落差をぼくは痛感したわけだが、嘆いてばかりはいられなかった。で、新聞、雑誌を主に、講演、放送など各種メディアを通じて世界のマラソンに関する体験やオピニオンをさまざまな角度で発信した。「日本でも、まずは首都の東京で、開かれた大都市マラソンを実現しよう」と各方面に呼びかけた。しかし、陸連はもちろん、行政も、警察も、既成メディアも反応なし。糠に釘で、聞く耳を持ってはくれない。