石井 崇
2012年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2012年03月26日 |
石井 崇 |
都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.100) |
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30歳を目前にしたころ、自分が本当にやりたいことは何なのか悩む日々が続きました。広告代理店のデザイナーとしてお気軽に、なに不自由ない生活を過ごしていたのですが、なにか納得できなかったのです。結局、答えは「絵描きになろう、絵を描いて生きてゆこう」だったのです。といっても食べてゆけるあてはなにもないし、どちらかというと危なげな人生の決断でした。できれば海外に出かけようと思案、結局、フラメンコにシェリー酒、黒い瞳の美女がいるスペイン、それも南のアンダルシア地方が陽気で人間模様が濃く絵になりそうだし、自分に合っていそうなので、セビリアに行くことに決めました。
お金を貯め、ようやく出発できたのは32歳の春、1975年のことでした。この年、ベトナム戦争が終結し、スペインではまだフランコ総統が健在でした。
セビリアの郊外、オリーブ畑のなかにある一軒屋に落ち着き、充実した日々を過ごしていましたが、問題発生、当然ながら一年も経つと生活費が乏しくなってきたのです。カメラから帰路の航空券まで売り、どうにか凌いでいましたが、とうとうお金も持ち物も底をついてしまいました、でも好きになったスペインを離れたくない、祭りの物語はここから始まりました。
時はヒッピー文化華やかなりし頃、繁華街では世界各国から旅をしてきた若者たちが俄か露天商になり、インドやモロッコなどで手に入れた小物を売り、稼ぎながらヒッチハイクをし、次の街へと流れていくのがお洒落な旅姿でした。私も彼らと同じように見よう見真似で針金細工を始め、ピアスやネックレスを作り、白いキャンバスのうえに怪しげな品々を並べて売り始めたのです。それが大当たり、次から次へと売れ、そこで再びお金を貯め、じっくりとアンダルシアの情景を描こうと決心したのでした。
スペインはカトリック教の国、どこの街にも守護神がいて、その命日には盛大なお祭りをします。その聖人は千差万別、ということは、毎週どこかで祭りがあることになる、特に夏の祭りは帰省客で大賑わい、夜遅くまで人が溢れて活気づくのです。セビリアの春祭り、サラゴザのピラールの祭り、バレンシアの火祭り、都会から村々まで、ありとあらゆる祭りを廻って商いをしていました。
ほとんどの祭りが宗教儀式で幕を開け、後はほぼ一週間、それこそドンチャン騒ぎになるのです。儀式とは、守護神を御輿に載せ街を練り歩くのが一般的、先頭には市長さんやら長たち、老若男女と共にブラスバンドを従え行進、まあ、聖人様に街の様子を見ていただき、お清めをしていただくのです。厳粛なる儀式は初日だけ、次の日からは無礼講、ロックバンドやら有名歌手も出演、鳴り物入りで夜っぴき飲み、踊り、歌い明かすのです。アンダルシア地方の女性は色鮮やかなフラメンコ衣装で着飾り、セビジャーナスを輪になって踊ります、華やかで祭り会場が輝いて見えます。