木全 吉彦
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2012年07月10日 |
木全 吉彦
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エネルギー・環境 |
エネルギー・ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.101) |
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失われたエネルギーの安定供給
昨年3月11日の東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故から2回目の夏を迎え、全国の原子力発電所が停止する事態に至っています。
発電電力量の3割近くを担ってきた基幹電源を失ったことによって電力需給は逼迫し、代替電源となる天然ガス・石油などの火力発電の燃料費がかさむなど、長年にわたって暮らしと産業を支えてきた日本の電力の安定供給は危機に瀕しています。
当面の課題である電力使用のピークを抑制するための節電対策や、計画停電、原子力発電所の再稼動の是非をめぐる議論に加えて将来のエネルギーのあり方をめぐる議論が交わされ、生活者も我が事として考えざるを得ない状況になってきました。
わかりやすさに潜む危うさ
震災後、地震・津波、原子力、放射線と次々に科学技術の専門家が登場し、自らの見識をもとに災害・事故の原因や対策を説明しましたが、内容が専門的過ぎて難しく、国民全体が現状認識を共有できない状況が続いています。
原子力や再生可能エネルギー、化石燃料をどのように組み合わせて将来の電源を構成するかを検討している経済産業大臣の諮問機関である総合資源エネルギー調査会・基本問題委員会の議論も(ウェブサイトで27回に及ぶ会議の資料、議事録、録画画像のすべてが公開されているのですが)やはり一般の生活者が理解するには難しいと言えるでしょう。これまで電気について学ぶ機会は無いに等しく、私たちは磐石の供給体制のもと、空気のような存在としてしか電気を見てこなかったのです。私たちはついついわかりやすい二分論に与したり、%の数字に飛びついたりして、本質的な問題をなおざりにしてしまいがちです。
電源には異なる特性・得失・役割があり、それらを組み合わせた電源構成の選択肢にもそれぞれ特徴があります。迂遠なようですが、ひとつひとつを詳しく見た上で全体を見ないと判断を見誤ります。「真実は細部に宿る」のです。
とはいえ、「正確だけれど難解」な説明・議論をしてしまう専門家と、「詳しいことはわからないので簡単に」理解しようとする生活者の溝を埋めるのは容易ではありません。話が難し過ぎると言って専門家を責めたり、もっと勉強せよと生活者を叱咤するだけでは限界があります。必要なのは専門家と生活者を結び、間を取り持ってコミュニケーションを成立させる機能であり、プロセスです。