Dr. Ingrid Haslinger、山下 満智子、宇野 佳子
2012年11月01日作成年月日 |
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研究領域 |
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2012年11月01日 |
Dr. Ingrid Haslinger、山下 満智子、宇野 佳子 |
住まい・生活 |
その他 |
情報誌CEL (Vol.102) |
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―困難な仕事―
一日の生活の中で食事が占める時間は比較的短時間である。しかしそのための食料の調達は、中世においては非常に時間のかかる困難な仕事であった。「食料というものは、消費されては日々新たに補充されなければならないものである」という19世紀の格言は、特に中世の食料調達事情をよく表している。
かまどのつくりもまだ原始的で、洗練された食事を整えるには制約が多かった。調理はもっぱら直火によるものであり、常に火との真剣勝負であった。今日ではオーブンを使用するような料理も、細心の注意を払いながら高温の石炭の直火で調理するしかなかった。パン焼きかまどを自由に使うことができたのは権力者のみであった。出来上がった料理は、大きな木の板に高く積み上げられて、テーブルに運ばれた。
―中世の食卓と食べ方―
当時は食堂というものが存在しなかった。食事をする人数によって食卓の形と大きさが決まり、持ち運びのできる板と足台で組み立てられた食卓が、客の数に応じた部屋にしつらえられた。この食卓は食事の後に撤去された。そこから“die Tafel aufheben(食卓を破棄する=食事を終える)”という表現が生まれ、今日まで残っている。
食器は、招待者の財力に応じて、木やマジョルカ焼、錫、貴金属で作られた。領主の食卓は一段高くしつらえられていた。「食卓係」と呼ばれる者が料理を食卓に載せ、「肉切係」と呼ばれる者がローストを巧みに切り分け、「献酌係」と呼ばれる者が様々なワインを注いだ。特別な宴会には、音楽を奏する者が欠かせなかった。
15世紀までは、かなり財力のある家でも木製の食器を使っていた。それは粗く削られただけか、せいぜいろくろで加工されたものであった。食卓が調理場から遠く離れていたため、料理が冷めないように鉢は蓋で覆われていた。鉢の料理は食卓を囲む人数によって決まった。粥状のものにはスプーンを使い、スープの場合はパンを鉢に浸し、肉料理の場合は手あるいは先のとがったナイフで自分の前にある皿代わりの木の板(tranchoir)に取り、手で食べた。食事の前後には手を洗わなければならなかったため、手洗いセットが用いられ、使用人が水を注ぎかけ手を拭く布巾を差し出した。テーブルクロスやナプキンはまだほとんど使われていなかった。