突々 淳
2013年03月01日作成年月日 |
執筆者名 |
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2013年03月01日 |
突々 淳 |
住まい・生活 |
食生活 |
情報誌CEL (Vol.103) |
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日本の「海」と「漁業」が危機に直面しています。漁業従事者の高齢化や輸入魚介類の増加、漁船燃料費の高騰、消費者の魚離れなど山積する問題に加え、海の環境変化で魚が獲れなくなっている状況も明らかになってきました。兵庫県漁業協同組合連合会参事の突々淳氏に、瀬戸内海から見た海の現状と漁業再生に向けた取り組みについて聞きました。
「きれいな海」は「豊かな海」?
―瀬戸内海から見た漁業の実情をどうとらえていますか。
瀬戸内海は古来より豊かな海の幸に恵まれ、多様な形態の沿岸漁業が発達してきました。近年の移り変わりを見ますと1970年代は、日本の高度経済成長のなか、自然海岸の埋立てや産業排水・生活排水によって、赤潮被害が問題になった時代でした。漁業者はきれいな海を取り戻そうと声を上げ、その対策として政府は1970年、水質汚濁防止法を制定、また、1973年には瀬戸内海環境保全臨時措置法を議員立法で制定し(1978年には瀬戸内海環境保全特別措置法となる)、水質規制の強化に乗り出しました。80年代になると、その効果もあって赤潮発生が減少する一方で、瀬戸内海の漁業生産量は上向き、1982年には漁船漁業漁獲量が48万トンを超えました。今から見るとこの頃が漁獲量のピークで、90年を前に下がり始めます(図1)。
2001年には赤潮発生の最大の原因として窒素・りんも削減の規制対象になりました。その頃には海水の透明度もずいぶん改善されていましたが、海の生態系を支えている栄養塩(窒素・りん)まで規制した結果、漁獲量の右肩下がりは止まらず、今では最盛期の半分になってしまいました。
―水質が改善されたのに水産物が少なくなったとき、どう対応されたのですか?
当初、「獲りすぎではないか」と漁業者は考えて、稚魚や二枚貝の放流などを始めました。それは90年代のことでした。しかし、状況は改善しませんでした。ノリ養殖で色落ちが頻発し、魚の餌場となる岩礁に海藻が生えない「磯焼け」も見られ始めました。それで漁業者も「海の様子がおかしいぞ」と気づき始めたのです。
皮肉にも、水質保全の規制のゆきすぎも原因の1つだったのです。元来、海の浄化は干潟や砂浜がその役割を担っていますが、浅場の埋立てや護岸工事、川のダムや堰が増えたことで土砂や栄養豊富な水が海に供給されなくなったり、規制基準が厳しくなるにつれて工場や浄水場の浄化技術が高度化したりして、その結果、海の栄養塩は減少し続け、広範囲な「貧栄養化」を引き起こしています。今、瀬戸内海の大部分は痩せて、漁獲量は減少し続けています。