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情報誌CEL

加藤 秀俊

2013年07月01日

Part2 隠居のつとめ

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2013年07月01日

加藤 秀俊

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情報誌CEL (Vol.104)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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江戸の殿様はいかに文化的「余生」をすごしたか

江戸時代の武家社会には、多くの「隠居大名」が存在した。「ご隠居」と聞き、さぞ暇を持てあましておいでかと思いきや、意外なほど忙しく文化活動を行っていたのが、かれら隠居大名。現代人が時間の使い方を考える上でも、おおいに参考とすべき生き方ではないだろうか。

徳川時代の日本は300ちかい藩にわかれていた。『江戸諸藩要覧』という書物をみると、加賀100万石のような大藩があるかとおもえば喜 連川5000石といったかわいらしい藩もある。つまり日本には300人ほどの「殿様」がおられたのだ。
だが、19世紀はじめの文政年間になるとその3分の1にあたる100ほどの藩は「隠居大名」という先代藩主をかかえていた。つまり一定の年齢に達した殿様は家督を息子なり縁者なりにゆずって、藩政という政治の実務から引退し「隠居」になったのである。
こうした「隠居大名」は、これといってしごともなく、生活のほうはちゃんと現役の藩主がみてくれているからべつだん不自由もない。好きなことをやって余生をすごせばよろしい、という結構なご身分。しかし、ただボンヤリと毎日をすごしていたわけではない。これら「元」殿様たちのおおくは隠居しても、いや隠居になったからこそ、なすべき「つとめ」をもっていたようにみえる。

文化人として生きた殿様たち

いったい、その「つとめ」とはなにか。ひとことでいえば「文化人」として生きることである。古いところでいえば「水戸のご老公」こと水戸光圀は元禄4(1691)年、64歳のときにに家督を甥の綱条にゆずってからは西山荘に隠居して梅里と号し、領内の文化財保護にあたったり『大日本史』という大著の編纂に手をつけた。この大著はその後、水戸藩にうけつがれ、幕末の「水戸学」の基盤をつくることになった。ついでながら、あの「漫遊記」はのち、講談師が創作したもの。ホンモノの光圀はひたすら学究の道をあゆんでいたのである。

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