アサダ ワタル
2013年07月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2013年07月01日 |
アサダ ワタル |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.104) |
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豊かな余暇を生きるために欠かせないのは、家と職場以外の、もうひとつの居場所――。
自宅の一部を開放しコミュニティとして提供する「住み開き」や、芸術文化の「場」をつくるユニークな催しなど、アサダワタル氏が手がけてきたさまざまな"日常再編集"の試みから、余暇の新しい可能性を探ってみよう。
先だってある企画で「いろいろ"かせぐ(稼ぐ)"」というテーマのトークをした。人はお金だけじゃないいろいろな価値を稼いでいる、それに対し意識的になることで生き方・働き方が変わるのでは? ――こんなことを参加者と語り合いつつ、筆者自身の仕事の変遷を紹介したのだが、まずもってこの「稼ぐ」という言葉の語源が気になったので調べてみた。
稼ぐという言葉は(中略)紡いだ糸を巻き取る道具の「かせ」に由来する説がある。紡いだ糸をかせに巻くことを「かせぐ」という。そして、かせは休みなく動いているように見えることから、かせのように仕事に励むことを「かせぐ」といったものと考えられる。また、稼ぐの「かせ」は「かせ(日迫)」の意味で、昼夜に迫り、止まる所を知らないことをいったとする説もある。
このように、稼ぐという言葉は、もともとは日夜仕事に励むことを表しており、お金を得ることは後世になって派生した二義的な意味であったことがわかる。これはまさに筆者が語りたかったことで、語源的に見ても24時間、365日という限られた時間の中で、「稼ぐ」にオフタイムはないのだ、と気づかされた。文字通り、「あの人いつも忙しそうにバタバタしているね」といったニュアンスではなく、「いまこの瞬間も自分は動き"何か"を常に稼いでいる」という「意識」の問題なのだ。 この意識を持った状態で考えると、「働く」(労働)と「休む・遊ぶ」(余暇)との間にあるボーダーが、とても曖昧に感じられてくる。
家や職場以外の、第三の場所
また、余暇を語る上で重要な言葉として、「サードプレイス」を紹介したい。都市生活者にとって必要な居場所として、第一の場所(ファーストプレイス)が「家」、第二の場所(セカンドプレイス)が「職場」、そしてその二つの中間地点にある第三の場所、すなわち「心のよりどころとして集う場所」を「サードプレイス」と呼ぶこの考え方は、1989年に米国の都市生活学者、レイ・オルデンバーグによって提唱された。日本においても現在、ほっこりくつろげるお洒落なカフェや、音楽や絵画が楽しめるアートスペース、地域の集いの場としてのコミュニティカフェなど、さまざまな形態のサードプレイスが存在している。