山下 満智子
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2014年11月01日 |
山下 満智子
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住まい・生活 |
食生活 |
情報誌CEL (Vol.108) |
豊かな自然と郷土性が育んだ多様な食文化が認められ、「和食」はユネスコ無形文化遺産に登録された。だが、少子高齢化、単身世帯の増加が進む現代の日本社会では、家庭における食はレストランやファストフードでの外食、惣菜やコンビニ弁当などの中食に依存しつつある。本来の日本の食が持っていた多様性を、和食の歴史をたどりながら考察する。
日本の食文化を伝承するために
2013年12月「和食、日本人の伝統的な食文化」が、ユネスコ無形文化遺産として登録された。登録に尽力された「和食」文化の保護・継承国民会議会長の熊倉功夫氏は、日本各地で食され、受け継がれてきた普段の料理(郷土料理)とその文化性が認められたことに特に意義を認めている。
「Washoku」は、おいしくてヘルシーな料理として大人気で、クールジャパンの代表としてアニメと並んで世界中から注目を集めている。しかし肝心の日本の現状はどうだろう、家庭料理としての「和食」は、風前の灯ともいえる状況にある。和食の歴史を概観し、和食の保護・継承とこれからの暮らしについて考えてみたい。
和食の原型
日本で最も古い料理様式である神饌は、神に祈り願い事をする際に供えられた。神事の後には、神饌を、一同で共食した。これが直会である。直会では、共同の飲食ということが、何よりも重んじられた。
平安時代には、神饌料理から発展した大饗料理が登場する。大饗料理には、当時の調味料である、塩、酢、酒、醤が入れられた四種器と呼ばれる4つの小皿が出された。味付けは自分で行うことが原則で、調味はされていない。大饗料理の特徴は、台盤と呼ばれるテーブルに数多くの料理が並べられることで、箸とともに匙も添えられるなど、中国の影響が大きい。しかし当時の絵巻物などから、日常の食事では、銘々膳を用いるのが一般的であったことがわかる。
次いで登場したのが鎌倉時代に成立した精進料理である。中国に渡って禅宗を学び帰国した僧侶たちが伝えたものだ。南北朝から室町時代には、精進料理が広く社会に浸透し、味噌や醤油、ごま油、さらに豆腐などを用いるそれまでにない高度な調味技術が発展した。