永松 伸吾
2015年03月02日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2015年03月02日 |
永松 伸吾 |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.109) |
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減災研究会を終えて
本連載の開始と並行して、これからの時代における防災・減災のあり方を自由に議論するため、若手の防災・減災研究者と大阪ガス(株)による「減災研究会」を立ち上げた。本連載を単なる共同執筆に終わらせることなく、研究会での議論を各講座に反映したり新しい人的ネットワークを構築することを目的とした。これまで5回の研究会を実施したが、最大公約数としての、コアとなるコンセプトについてはかなり明確になってきたように思われる。それは、「防災の価値とは、被害を減らすことそのものにあるのではなく、プロセスそのものにある」という考え方である。
防災とは、読んで字のごとく「災いを防ぐ」ということであるから、被害を減らすことに防災の価値はない、というのは非常に逆説的である。それでもこれまでの研究会メンバーの論考にはそうした考え方がちりばめられている。元吉論文(108号「減災講座」Vol.4)によれば、「被害を減らすための」活動は心理学によれば「予防焦点」と呼ばれ、本当に被害が減ったのか実感できず、持続しにくいことが指摘された。したがって、持続可能な活動のためには、防災の活動そのものに喜びが感じられる(これは「促進焦点」と呼ばれる)ようにならなければならないことが指摘された。越山論文(本号54頁「減災講座」Vol.5)は、今日のまちづくりにおいて計画的な手法の限界を明らかにし、むしろまちづくりのプロセスにおける創発性の重要性が指摘されている。近藤論文(本号58頁「減災講座」Vol.6)は「リアリティの共同構築」という概念を用いて、情報の発信者と受信者の間で「互いに歩み寄って、ともに『リアリティ』をつくっていく連帯」の必要性を説いている。山崎論文(108号「減災講座」Vol.3)では、防災の法制度が具体的な行動を規制するものではなく、防災の一連のプロセスを支えるものへと変化していることが示されている。
そもそも、災害とはなんだろうか。大きな被害が生じていることは必要条件だとしても、個別の被害がいくら集合しても災害と呼ばれることはない。例えば交通事故死は近年減少してきたとはいえ、それでも未だに4000人を超える方々が毎年亡くなっている。我々はこれを災害と呼ぶことはない。しかし、これがある時間、ある地域に集中して発生すれば、我々は通常それを災害と呼ぶ。