西田 豊明
2015年11月02日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2015年11月02日 |
西田 豊明 |
都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.111) |
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いまや身近なスマートフォンからロボット、ビッグデータまで、社会のスマート化を下支えする人工知能は一般社会に浸透し、日常生活においても欠かせないものとなりはじめている。想像をはるかに超えるテクノロジーのさらなる進歩は、今後、人間社会にいかなる影響をもたらすのか。人工知能の発展や特徴を踏まえつつ、新たな生活創造のあり姿を考察する。
はじめに
いまちょっとした人工知能ブームだ。わが社こそは人工知能のリーダーだといわんばかりの企業キャッチコピーを目にすることが多くなっているし、テレビや新聞でも人工知能関連の話題がよく取り上げられるようになった。25年ほど前の冬の時代を耐えて、虎視眈々と復活のチャンスを狙ってきた人工知能研究者にとって、最近の情勢はこの世の春とも見える。実際、ビッグデータとクラウドコンピューティングという、人工知能技術を実装し、社会に普及させるために必要な土壌が出来上がっているという点では、このブームは実質を伴うものである。さらに、こうした土壌を背景にしたディープラーニングという新しい機械学習技術は人工知能研究者たちがこれまで想像していたレベルをはるかに超えた「スーパー知能」を実現する可能性をもたらしている。
1 これまでの人工知能
知能を人工的に再現することは、昔から人々の夢であったらしく、機械仕掛けのからくり人形などにその痕跡をみることができる。人工知能――コンピュータによる知能の再現――の研究開発が本格化したのは、1956年にアメリカ・ダートマス大学で開催された通称ダートマス会議からである。商用コンピュータが誕生してから、10年もたっていない。当時のコンピュータは、その大きさと消費電力という意味で存在感こそいまとは比べ物にならないほど大きかったものの、その処理能力は非常に低かったから、そのようなしろものを使って人間のように知的なことができるようにしたいなどという構想は夢物語だったに違いない。それでも、1960年代には、チェッカー(西洋碁)などのようなゲームプレイをしたり、人が使う自然言語(日本語や英語)でデータベースにアクセスしたり、言語翻訳をしたり、さらには、経験を通して自分の力を向上させたりできる人工知能を作るための一通りの試みが行われた。