情報誌CEL
お酌で世界とつながる日本酒 フィリップ・ハーパー
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2016年11月01日
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情報誌CEL
(Vol.114) |
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無形文化遺産となった「和食」と最も相性のよいアルコールといえば、何といっても日本酒だ。しかし、ピーク時に170万キロリットルを超えていた日本酒の国内出荷量は、約3分の1にまで減少しているのが現状である。
そのようななか、京都府京丹後市久美浜町にある木下酒造は、この10年で生産量を3倍に伸ばし、世界各国へ出荷するなど、勢いのある蔵元のひとつだ。酒造の立役者で杜氏を務めるイギリス人のフィリップ・ハーパー氏に、日本酒造りに携わった経緯、それらを通して見た日本と世界とのつながり方について、お話を伺った。
未知なる「日本語」に魅かれて
ハーパー氏の来日は、昭和63(1988)年。大学卒業後、一度は海外に住みたいと考えたのがきっかけだった。「実は、最初東ドイツの大学と日本のJETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)の二つを申し込んでいました。たまたま先に日本から返事が来たから行こうか、というくらいの気持ちでした」と、ハーパー氏はテンポのよい関西弁で語る。
当時在籍していたオックスフォード大学の先輩が一期生としてすでに日本に派遣されていたことがJETプログラム応募の動機となった。また、英語以外に仏・西・独語にも触れた経験のあったハーパー氏にとって、これまで学んだ言語と全く系統の違う日本語への関心も高く「新しい言葉を勉強できる」と思ったという。
期待と好奇心を胸に、日本語は全く話せない、日本という国の知識も「時代劇のイメージ」、日本酒は「日本特有の製法で造る、『SAKE』というアルコールがあるという知識だけ」という、全てが真っ白な状態で来日したのである。
来日当初は大阪の公立高校で教えながら、学校外で公文に通い、日本語を勉強した。日本語、特に大阪では「ぼちぼち」といった擬音・擬態語が多く使われるのが面白いと感じ、敬語の難しさにぶつかることもあった。それらを「どの国の言葉を学ぶときも必ずぶつかる壁のようなものはあります。新しい言語を学ぶにあたっては、それも含めて全てが楽しいプロセスです」と笑顔で語る。困難も楽しみにかえる姿勢で日本語を学んだハーパー氏は日本の文化とも積極的に関わっていくことになる。
日本の伝統産業を支えたい
ハーパー氏は最初に語学学校ではなく、公立の学校に赴任したこともよかったと話す。
「語学学校は外国人講師のサポートに力を入れますが、その分、生の日本の姿に触れる機会は少なくなる。公立の学校で働くことで一般的な日本人の暮らしにじかに触れることができました」