中江 克己
2019年07月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2019年07月01日 |
中江 克己 |
都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.122) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
人生100年時代に向けて、定年後も引き続き財テクや再就職を考える日々。
もはや当たり前のようになっている老後のための備えの形だが、果たしてそれだけで本当に幸せを感じることはできるのであろうか?
寿命が短かったとされる江戸時代だが、「ご隠居」として第二、第三の充実した人生を送り長生きしたご長寿も少なくなかったという。
そんな江戸時代の「ご隠居」のあり方にスポットをあて、そこから今活用すべきさまざまな術や思考を導き出す。
「人生100年時代」の「いい老入」
二十数年前には「日本の平均寿命が世界一になった」などと喜んだものだ。たしかに寿命が延びて、なにか得をした気分になった人は少なくなかった。
ところが、その後、急速に高齢化が進み、今や「人生100年時代」といわれるまでになった。65歳以上の高齢者は平成6(1994)年現在、人口の14%だったのに、平成30(2018)年には28.1%、3557万人に達した。
こうなると喜んでばかりもいられない。あれよあれよというまに超高齢化社会に突入して、さまざまな課題が生じてきたからである。
60代、70代の人びとと話をしてみたが、定年が延びたとはいえ、定年後に生き抜く健康、生活資金などについて自信が持てる、という人はそれほど多くはなかった。健康には自信があるという人でも、年齢とともに体力が衰えるのは当然のことだろう。定年後の年月が延びるということは、それまでに準備していた生活資金が目減りすることだ。「もっと増やす必要がある」といわれても、高齢になってからでは難しい。私自身は、いろいろ細かく準備するのは不得手なほうだ。どちらかといえば、大筋を考えたにしてもわりと楽観的なところがあって、まずは「今日一日を充実させて生きたい」と願ってきた。健康とか、生活資金などについては、専門家の意見を拝聴するしかないが、それにしても現実的に「これで絶対に大丈夫」ということはないらしい。
たとえば、20年前に今の状況を考えることができないか、と自問してみると、「思いもしなかった変化の連続だった」というしかない。それはそれで悪くはない20年だった、と満足しているし、すべてに感謝している。思うに、いつでも臨機応変に対応できる覚悟をして生きていればよいのだが、へまをすることも多かった。