橋爪 節也
2020年11月01日作成年月日 |
執筆者名 |
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2020年11月01日 |
橋爪 節也 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.126) |
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"記憶"は調教できるか――第五回内国博からEXPO'70へ
"万博遺産"のなかでも、建造物やインフラ以上に歴史に刻まれ、後世に受け継がれていくのは"記憶"ではないだろうか。明治三十六年(一九〇三)の第五回内国勧業博覧会の"記憶"は、文学作品に微妙な形で登場する。
モダニズムの詩人・安西冬衛(一八九八〜一九六五)は、詩集『軍艦茉莉』(一九二九年)の散文詩「菊」で、ドイツ語の発音を訂正するような厳格な妹に明治の時代精神を象徴させ、「当時大阪で開かれた第五回内国勧業博覧会の雑沓の中」に彼女を見失うことで、博覧会開催によって新しい時代が到来したことをシンボリックに表現する。
竹友藻風(一八九一〜一九五四)の詩でも、第五回博はゆらいでたち現れる。「新聞紙――風に翻へるビラ、広告、/第五回内国勧業博覧会、/カアマンセラ嬢は胡蝶の舞を踊り、/活動写真は米西戦争のフィルムを廻している」(「大阪、一九〇〇年」、『大阪の三越』昭和六年掲載)
カーマンセラは「不思議館」で「炎の舞」を舞ったダンサー、米西戦争は明治三十一年に勃発した。大大阪成立による躍動する都市のなかで、第五回博がノスタルジックに脳裏によみがえる。内国博のときに藻風は十二歳、私が一九七〇年の万博に行った年齢と同じだ。
そこで勝手な想像が湧き起こる。内国博の"記憶"は、EXPO'70につながっていないだろうか。
昭和三十九年(一九六四)、国際博覧会大阪誘致委員会が発足し、翌年、パリのBIE(博覧会国際事務局)で承認された。第五回博を十歳で体験した子供は、委員会発足のとき七十一歳。社会のリーダーとしたら、下の世代(部下)も第五回博の盛況を聞かされただろう。
万博の"記憶"でいえば、浦沢直樹が、一九九九年から二〇〇七年まで連載された漫画『20世紀少年』でそれを絶妙な作品に昇華する。
主人公は、大阪万博(EXPO'70)の年に小学校五年生。私の二歳下だ。戦後復興期から万博を経て平成に入り、カルト教団や細菌テロも題材に壮大なドラマを展開する。国家を支配する教団「ともだち」が万博を再現し、太陽の塔をベースにした「ともだちの塔」も登場する。パラレルワールドと言うには、あまりにも生々しい。
EXPO'70は、私の世代には懐かしいが、成功体験の"記憶"は善良とは限らない。むしろ獰猛かもしれない。