橋爪 節也
2021年03月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2021年03月01日 |
橋爪 節也 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.127) |
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第3回 「白い巨塔」と船場センタービル
七〇年万博がテーマの小説には、筒井康隆『人類の大不調和』『深夜の万国博』や眉村卓『EXPO?87』があるが、大学病院を舞台に医師の倫理を問いかけた山崎豊子の『白い巨塔』にもEXPO?70が登場する。
『白い巨塔』は昭和三十八年(一九六三)から『サンデー毎日』に連載され、物語と読者の時間が並行する同時代小説であった。誤診裁判を報じる小説内の新聞記事には、癌患者佐々木庸平は昭和三十九年五月二十九日に手術を受け、六月二十一日に亡くなったことが報じられている。週刊誌を買うたびに読者には、リアルで生々しいドラマに感じられただろう。そして、主人公の財前五郎と対立した里見脩二助教授が移ったのが、千里ニュータウンの高台にあって緑の丘陵が一望できる「近畿癌センター」である。そこからの展望は、ある方向だけ赤土が剥き出しで「大阪で開かれる万国博覧会の会場建設地で、敷地造成が始まっているのだった」と記される。「近畿癌センター」のモデルが気になって調べてみると、昭和三十六年(一九六一)開設の「毎日放送千里丘放送センター」がそれに近いように思われる。
映画やテレビドラマにもなったこの社会派小説は、東京オリンピックの前年にはじまり、万博目前で完結する。高度経済成長期の日本や、大阪の都市改造を目撃証言する点において、これも“万博遺産”として語られるべきものだろう。
もうひとつ万博関連では、亡くなった佐々木が営む繊維卸商店は、船場の中央にある唐物町と丼池筋の交わる付近、町名変更で現在の大阪市中央区南本町三丁目あたりに設定されている。実はこの付近の商家は、大阪市の東西を結ぶ幹線道路「中央大通」の建設で立ち退き、昭和四十五年(一九七〇)にオープンした「船場センタービル」に移転した。佐々木が死なずにいたら立ち退きに直面していたかもしれない。
「船場センタービル」も、万博をにらんだ都市改造の遺産である。移転の補償問題が難航するなか、移転先となった地上四階建てのビルの屋上に道路を走らせる画期的な解決策で新しいインフラが実現できた。どこか未来的である。現在も屋上に「中央大通」と阪神高速が走り、ビルの内外に大阪万博時代の空気が漂っている。