髙田 郁
2021年11月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2021年11月01日 |
髙田 郁 |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.129) |
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昭和四十年代、兵庫県宝塚市。
まだ舗装されていない道に水たまりができると、アメンボが泳ぐ。日照りの時はハンミョウが現れて道案内をしてくれる。そんな長閑な光景の一方で、宅地開発が進み、暮らしを支える個人商店が充実していた時代。自宅周辺には、五軒ほどの本屋があった。いずれも間口の狭い、こぢんまりとした店だった。
小学校から帰宅すると、ランドセルを放りだして、それらの本屋を一軒ずつ回った。児童書に力を入れている店もあれば、参考書や問題集の充実している店もある。どういう絡繰りか、他より一日早く雑誌が並ぶ店もあった。本屋ごとで棚の顔が異なるから、見ていて飽きることがない。
毎日訪れる「けったいな(奇妙な)子」を店番のひとも面白がり、随分と可愛がってもらった。『パール街の少年たち』(モルナール・フェレンツ著)や『ぼくらははだしで』(後藤竜二著)等々、自力では辿り着けなかっただろう様々な本に出会わせてもらえた。そうやって巡りあえた本は、子どもの私を明日へ繋いでくれる存在だった。当時は、本のある暮らしも、本屋の在る街並みも、永遠に続くものだと思っていた。
だが、バブル期の地上げ、さらに阪神・淡路大震災によって、街の様相は一変。ほかにも色々な事情があったのだろう、馴染んだ本屋の全てが消失してしまった。本のある暮らしそのものは変わらないのだが、恩人を失ったような喪失感は長く続いた。解放されたのは、五十代に差し掛かってからだった。
不思議な廻り合わせで、四十半ばを過ぎて時代小説を書こうと決め、二〇〇八年にデビュー。翌年、『みをつくし料理帖』シリーズをスタートさせた。版元の営業マンと一緒に、生まれて初めて「書店回り」なるものをさせてもらうようになった。バックヤードにお邪魔し、書店員さんたちの働きぶりを目の当たりにすれば「ああ、あの頃の本屋のおじちゃんやおばちゃんも、こんな風だったのか」と感慨深い。書店回りを重ねるにつれて、新たに大事な友が増えていく思いがした。
二〇一三年、ひとつの知らせが飛び込んでくる。拙著『銀二貫』が、大阪ブックワンプロジェクト(通称OBOP)の第一回選定本に決まった、というのだ。「はて、OBOPとは何ぞや?」と、疑問符で頭が一杯の私に、OBOPの実行委員は次のように話した。「大阪の書店と取次とが、大阪ゆかりの作品を一冊選び、店や会社の垣根を越えて協力し合って売り伸ばし、その収益の一部で、社会福祉協議会を通じて大阪の子どもたちに本を贈る。OBOPとは、そうした取り組みです」