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情報誌CEL

湯澤 規子

2022年09月01日

大阪の胃袋 第6回 食べることと学ぶこと −民都大阪のフードシステム

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2022年09月01日

湯澤 規子

都市・コミュニティ
住まい・生活

コミュニティ・デザイン
食生活
ライフスタイル

情報誌CEL (Vol.131)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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大阪の胃袋育ちの三世代

知らぬ間に、胃袋のほかにも引き継いでしまうものがある。先日、アメリカの大学に留学している息子の近況を聞きながら、はたとそれに気がついた。
彼は今、アフガニスタンから難民として入国したティーンエイジャーの勉強を手伝っているらしい。そういえば私は彼と同い年の頃、大学病院の小児病棟で、長期入院中の子供たちの遊び相手をしていたことがある。そして私の父から聞いたことには、父もまた、やはり大学生の頃に、かつて西成にあった「馬淵生活館」という場所で、子供たちに勉強を教えていたことがあるのだという。
申し合わせたわけではないのに、お互いが知らぬところで同じようなことをしているというのは不思議である一方で、妙に腑に落ちることでもあった。とはいうものの、父のその話は一度も聞いたことがなかったので、三世代の意外な共通点に戸惑いつつも、興味の方が勝ったのは言うまでもない。その話は次のようなものであった。
時は1960年代。天王寺駅から動物園前通りを抜けて通天閣を右手に見ながら進むと、西成の交差点が見えてくる。右の角にはいつも、ドラム缶に入れられた木材がごうごうと燃え、その周りには仕事を求めて、あるいは暖をとるために立ち寄った人びとが集まっていた。その角を右手に折れて間もなくの所に馬淵生活館はあった。
1962年、同館は大阪市の管轄で、住宅ではなく一時的な宿泊施設として設立され、自立更生を支援する一時的な保護施設という役割を担っていたらしい。父が大学生だったのは1960年代半ばなので、同館ができて間もなく足を運ぶようになったのだろう。
2010年に閉鎖された同館については、僅かな研究があるのみで、今となっては詳細を知ることは難しい。ところが、かつてあったその場所に若かりし日の父が確かに存在していたという事実が差し出された時、断片として知っていたいくつかの事象がつながり、輪郭をもって立ち現れてきたのである。

社会の問題は胃の問題
――大阪自彊館の食堂

拙著『胃袋の近代』では、都市や工場の勃興によって集まった数多の胃袋を満たす、様々なシステムの誕生を描いた。その一つに、現在の給食センターの原点ともいうべき「共同炊事組合」がある。ところが、大阪には共同炊事組合がひとつも存在しなかった。その背景を知ることができる調査結果がある。そこには、次のような事情が記されていた。

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