小島 一哉
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2023年03月01日 |
小島 一哉
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都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.132) |
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神戸は、山と海に囲まれた風光明媚な街である。一方、川の源流から河口まで数キロメートルという場所も多く、過去には数々の水害が起こった。また、阪神・淡路大震災という巨大災害も経験している。幾度の試練を乗り越えてきた「神戸っ子」のレジリエンスを、少しでも紹介したいと思い筆をとった。
『細雪』と阪神大水害
文豪、谷崎潤一郎は、昭和初期に兵庫県武庫郡住吉村(現・神戸市東灘区)に住まい、大作『細雪』を執筆した。当時の自宅は、倚松庵として、六甲ライナーの建設により移設されたものの、阪神電車魚崎駅の北側に残っている。
その物語の中で、谷崎は水害に遭遇した模様を詳細にわたって描写している。「五日の明け方からは俄にわかに沛然たる豪雨となって(中略)阪神間にあの記録的な悲惨事を齎した大水害を起そうとは誰にも考え及ばなかった」と始まり、大水害と四姉妹はじめ蒔岡家の様子を実際の地名や橋の名前、鉄道などの名前を使って克明に記している。「阪急線路の北側の橋のところに押し流されて来た家や、土砂や、岩石や、樹木が、後から後からと山のように積み重なってしまった」「住吉川の氾濫の状況がやや伝わって来て、国道の田中から以西は全部大河のようになって濁流が渦巻いていること、従って野寄、横屋、青木等が最も悲惨であるらしいこと、国道以南は甲南市場も、ゴルフ場もなくなって、直ちに海につながっていること、人畜の死傷、家屋の倒潰流失が夥しいらしいこと、等々が(中略)分って来た」など被害の様相が手に取るようにわかる。高台の洋裁学院でお茶を飲んでいた、四女の妙子(こいさん)が洋裁学院の家族とともに濁流に巻き込まれて、流されそうになった。その瞬間に写真師に助けられた。その写真師は「阪神間には大体六七十年目毎に山津浪の起る記録があり、今年がその年に当っていると云うことを(中略)聞き込んでいた」とある。
人気の住宅地と防災・減災
この水害は、のちに阪神大水害と命名された昭和13(1938)年の大水害である。約700人の犠牲者が出ている。
明治以降、神戸市の人口は急増し、六甲山系の木々は家屋や薪用として伐採され、はげ山の様相を呈していた。
もともと、六甲山系は花崗岩質で、30〜50年をかけて風化や浸食により、土石流を起こしやすい真砂土に細粒化される。