橋爪 節也
2024年03月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2024年03月01日 |
橋爪 節也 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.134) |
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開通をいそげ、EXPO'70
− 国土軸建設の「土木」の勝利と「千里城壁都市群」
EXPO'70での花形はパビリオンであった。誰もが奇抜で斬新なデザインに心を奪われ、未来都市を夢想した。しかし閉会後、建物は撤去され、映像や写真で様子を偲ぶほかはない。取り壊された建築に対し、万博遺産として今も現役で存在感を示しているのが道路である。
昭和三十八年(一九六三)、名神高速道路が栗東と尼崎間で開通し、万博予定地の東側を通過する。万博開会式直前の昭和四十五年(一九七〇)三月一日には、会場とエキスポランドの間を通る中国自動車道が吹田と中国豊中間で開通した。田野を切り開いた道であることが当時の地図でわかる。
同じ工事でも「建築」と「土木」は異なる。道路や河川、橋梁、ダムが「土木」に属し、見た目の派手さは乏しいが、規模は大きくダイナミックである。中国自動車道は九州へと延び、日本の東西を自動車で結ぶ太い国土軸が形成されたことで、EXPO'70では「建築」以上に「土木」が勝利した、という声を関係者から聞いたこともある。
しかし、万博で進められた道路網を無条件に絶賛できるかは複雑である。「万博記念公園の森」にかかわった環境デザイナーの吉村元男は、高速道路や鉄道で分断され、徒歩や自転車での隣接地への移動が困難な千里丘陵を、地域が孤立分断された「千里城壁都市群」と呼ぶ。確かに付近は、丘陵地という地理的な要因もあって、線路や道路を越えて目的地に行くのが億劫になることもある。
都市に自然を呼び戻すのが問題解決の鍵であり、吉村は「人工の都市を『故郷』と思うことができる文化の力が必要」と述べるが、面白いのが、この「地域の文化力」の定義である。「生きがい」だけではなく、その都市で「死にがい」とでもいうべき思いを持ちうる「地域への執着性の尺度」が重要であり、その思いこそ「都市のアイデンティティ」であり、「住宅に特化しただけの街」からは生まれないとする。
示唆に富んだ言葉だと思う。国土に関する壮大な実験の結果を、現代の生活者目線から再検証するのも万博遺産の一つだろう。