石田 光規
2024年09月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2024年09月01日 |
石田 光規 |
都市・コミュニティ |
コミュニティ・デザイン |
情報誌CEL (Vol.135) |
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近年、育ち始めた人間関係を不意に「リセット」するという現象が、おもに若者を中心に増えているという。
一見「つながる」とは正反対に思えるこうした衝動は、どこから生まれるのだろう?
長年、若者世代の孤独・孤立と人間関係を研究する社会学者が、「友だち」のあり方の変化を振り返り、今の時代に人と人がどうつながればいいか、そこで「場」はどのような役割を果たすべきかについて考察する。
1 つながりの2つの方向性
友だちというと私たちは「何でも言い合えるような深い関係」を想像する。今でもそのイメージは残っているものの、1990年代あたりから、別の友だち像が提示されるようになった。「気を遣いながら、よい状態を維持する関係」である。ここでは仮に前者を「結果としての友だち」、後者を「形から入る友だち」としておこう。
この短い論考では、まず、友だち関係の変化についてまとめ、つながりを求めつつも孤独に陥りがちな若者の実態を明らかにする。それを踏まえ、今後のつながりや場づくりの方向性を検討する。
2 「結果としての友だち」から「形から入る友だち」へ
友だち関係の変化に大きな影響を与えたのが、社会の「個人化」である。個人化とは社会のもろもろの単位が個人中心に構成される状況を指す。所有の中心単位は個人になり、何かをするにあたっても集団の意向ではなく、個人の「やりたいこと」が重視されるようになる。日本社会では、友だち像に変化が見られた1990年代に個人化が進んだと言われている。
個人化の影響は人間関係にも及んでいる。私たちは集団とのつき合いを必要最小限にとどめ、個々人の「やりたいこと」や「つき合いたい人」を優先するようになった。今や職場やクラスの懇親会も必須ではない。誰とつき合うかは個人が選ぶ時代なのである。このような社会において、友だち関係のあり方は着実に変わっていった。
集団の力が強い時代、私たちは所属する集団の人たちと否が応でもつき合わなければならなかった。私たちは、イヤな人ともつき合わなければいけないというマイナス面と引き替えに、安定的な人間関係を享受していたのである。このような社会では人間関係をじっくり育むことが可能である。言い換えると、対立や葛藤を経ながら強い関係を育むこともできるのだ。