畑中 章宏
2024年09月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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2024年09月01日 |
畑中 章宏 |
都市・コミュニティ |
まちづくり |
情報誌CEL (Vol.135) |
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日本の写真史にその名を刻んだ大阪の偉大な写真家たち。その写真家が写し出した作品から、大阪の都市の様相を振り返る。第1回は安井仲治の《平野町》。
変貌する大都市大阪の過渡期を写す
安井仲治(1903〜1942)は大阪の明星商業学校(現・明星高等学校)を卒業後、家業の安井洋紙店に勤めながら、大阪市中を拠点に写真を撮り始めた。そして18歳の若さで、当時関西写壇を牽引していた浪華写真倶楽部に入会する。
初期の安井は絵画主義的な技法を用いた写真表現を追求するとともに、スナップショットで都市風景を活写した。
安井が活躍した1029年代から30年代、大阪は「大大阪時代」と呼ばれる変貌、発展の渦中にあった。1925年に市域拡張で東京市(当時)の人口を抜いた大阪市は、人口・面積・工業出荷額で国内第1位となり、世界6位の大都市に躍り出た。1929年に安井が撮った《平野町》はそんな大変貌の時期、過渡期を映し出すものだ。
安井が育った街でもある平野町は船場の北から6番目に位置する町で、江戸時代から明治末頃まで、市内の五大商店街の一つとして賑わい、昭和初期まで「1」の日と「6」の日には夜店が立った。安井の写真には3階建てのモダン建築、火の見櫓と電柱・電線、瓦葺きの小屋や商店らしき建物、徒歩で、あるいは自転車で町を行き交う人びとが捉えられている。東西に長細い平野町は平野町通が横切り、町の中ほどを御堂筋が交差する。御堂筋は1926年から拡幅する工事が行われていたので、まさにその過渡期だった(なお「大阪瓦斯ビルヂング」は33年3月に竣工している)。
実験的な作風への変化
安井は1930年代に入ると、ヨーロッパの先端的な写真表現の影響を受けた作品を創り出すようになる。《(凝視)》は1931年に中之島公園で催されたメーデーを撮影した写真に、別の風景を合成した実験的な作品で、端正な構図で都市風景を切り取った《平野町》と比べると、大衆のダイナミズムを斬新な手法で定着しようとする作家の表現意欲を強く感じさせる。
安井仲治は大阪の激動に合わせて、作風を大きく変えていったのだ。